東チモールと沖縄

東チモールと沖縄と考えると、自分の感覚としては沖縄は日本のいわゆる本土(内地)と文化的に大きく異なり言語も違い、民族学的にみて本州にする我々と違いがある。にもかかわらず、独立の機会や可能性があったが日本の国の一員としてとどまったのだろうか?
東チモールと沖縄を同列で比べることはできないが、沖縄がもしも薩摩藩の支配を受けなければ独立していたに違いないと思う。逆に、東チモールインドネシアのほかの地域とのつながりが深ければまた違った道を歩んだだろう。どちらかといえば、東南アジアにおいて民族意識は希薄で、20世紀に入るまではアイデンティティーを持たないものだったと明石ブックレットの東チモールの本にも書いてあった。それは正しいと思う。結局今の東チモール問題も植民地化した国が持ち込んだ区分がそのまま民族的な分立につながり、インドネシアの一員としての意識を希薄にした可能性がある。
今の東チモールの住民に罪は無い。彼らの民族意識が作り出されたものだとしたら、哀れを感じてしまう。