吉良町内の史跡「黄金堤」
黄金堤は忠臣蔵の悪役で有名な吉良上野介が自領の領民の為に作った洪水時に水の流れを変えるための190m弱の堤防で、この為大雨時に吉良(三河横須賀)領内の田畑が毎年水につかり領民が大変苦しんでいた状況から救ったとされ、地元の吉良上野介人気の元となっている出来事と言われている。この周囲はもともと沼地で、三河国内の争いごとで多くの戦死者を出したりしたこともあった場所であり、江戸期に入って新田開発の対象となって、その一環として築かれた可能性が高いと自分は考えている。
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei009.htm

吉良上野介がそんなに領民をいたわったり領内を巡視したりしたりしたのか疑問を呈する人もいる。しかし、江戸時代も元禄期となると、領国の経営に関心が無い旗本も多く、多少なりとも領国を気にかけるだけで話が大きくなったりする可能性はあっただろう。
http://dandara.easter.ne.jp/akenkyu/ako-01.html

この周辺は実際に複雑に旗本領や小大名領が入り組んだ地域だったが、現在の吉良町周辺に江戸期以前戦国時代ひいては室町期から吉良家は足利家とも縁がある古い家柄として一目置かれた立場で、そのためか一時期徳川家康となるまえの松平元康の一党と対立していた時期もあったらしい。地元の吉良上野介贔屓はもともと吉良家がこの地域に根付いた勢力だったからかもしれない。

現地は、アスコン・プラントのアスファルトを溶かす匂いで結構辛い。