ひとつの歴史資料

福音書は現在いわゆるキリスト教聖典である聖書に含まれていない、儀典と呼ばれる書物が多数存在したと言われているが、過去の文物が発見され、解読された結果、失われた書物の内容が明らかになることがある。有名なところでは死海文書だが、いろいろな教義が信者を集め、いろいろな福音書書かれたことが現実にあったと認識できるようになってきた。
そうした、忘れ去られた教義、そして福音書が明らかになることによって、センセーショナルで、劇的にキリスト教の世界観が変わるわけではないが、確実に歴史学の一部として進歩していることがうかがえる。
現在、「正しい」と考えられていることが、実は複数の考え方があって、それらが次第に排除された結果存在するひとつの考え方であることを知らなければならない。なぜなら、各宗教の原理主義に基づく活動も複数の考え方のうちの一つで、その宗教の世界の一部に過ぎなかった考えだったのが、あたかも支配的な考え方のように語られつつある様を私たちはいまリアルに体験している。多様性を容認し、受け入れる姿勢こそが人生において、また世界平和において必要なことであろう。一度失われた考え方を復元することは難しい。